札幌高等裁判所 昭和27年(う)235号 判決 1952年8月15日
控訴人 被告人 時安政富 外一名
弁護人 杉之原舜一
検察官 金井友正関与
主文
本件各控訴を棄却する。
被告人樋口勉に対し当審に於ける未決勾留日数中六十日を原判決の本刑に算入する。
理由
被告人時安政富同樋口勉及被告人両名の弁護人杉之原舜一の控訴趣意は同人等提出の各控訴趣意書記載の通りであるから之を引用する。
被告人時安政富の控訴趣意被告人樋口勉の控訴趣意第一点並びに弁護人杉之原舜一の控訴趣意第一点について
右各控訴趣意はいづれも被告人時安政富の原判示第一の一、二樋口勉の同二、三の各所為は労働組合の団体交渉や争議行為として正当なものであつて何等犯罪を構成するものではないというにあるが労働組合法第一条第二項の規定は労働組合の団体交渉其他の争議行為は同条第一項の目的を達成するために為された正当なものである限り罰せられないという趣旨であるから争議行為は如何に正当な目的のもとになされる場合であつても其の貫徹の為めに暴力を使用することは勿論不当の威力を使用することは正当な行為と認むることは出来ないと解すべきである。
原判決の確定したところによると北海道苫前郡羽幌町羽幌炭鉱鉄道株式会社築別鉱業所の従業員約七百八十名を以つて組織する労働組合は右会社に対し労働協約の改訂、割増賞与金の要求福利厚生施設の改善等を要求して昭和二十五年五月頃から争議に入つておつたが数次の交渉を重ねるうち右組合員中争議より脱退するものが出で一方会社では従来より会社の業務に従事していた組夫約五十名を従業員に採用し之等の者と職員並びに従業員会の者にて採炭を続行して居つたので罷業決行派は之を制止しようとし互に反目し抗争を続けて来たものであるが被告人時安政富同樋口勉等は罷業決行派の者と共に同会社の出炭業務を不能ならしめようとし原判示第一の一乃至三記載の日時同項記載の如く百余名の者と共に電車軌道上及び其の附近に座り込み又は立塞り或はスクラムを組み且つ労働歌を高唱する等の挙に出で同会社電車運転手杉原石太郎等の運転する電車の運行を阻止したというのであるから右行為は労働組合法第一条第二項の争議行為の正当な範囲を逸脱したものと認めるのが相当である。従つて原判決が被告人等の右行為を威力業務妨害罪に問擬したのは正当であつて何等事実の認定や法律の適用を誤つたものではない。論旨はいづれも理由がない。
同弁護人の控訴趣意第二点の(一)の(1) (2) について
昭和二十年九月二十日勅令第五四二号「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(以下勅令第五四二号と略称する)は旧憲法下に於ては勿論新憲法の下に於ても合憲有効であることは既に最高裁判所の判決(昭和二十三年六月二十三日大法廷)の明示するところである。従つて右勅令の委任により其の範囲内に於て制定された昭和二十五年政令第三二五号占領目的阻害行為処罰令(昭和二十一年勅令第三一一号を改正、以下政令第三二五号と略称する)は形式的にはもとより適法であつて何等憲法に違反するものではない。勅令第五四二号が命令に委任した立法の範囲は『「ポツダム」宣言の受諾に伴い連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する為め特に必要ある場合』とあることによつて明かなごとく広汎であつて決して個々の要求に係る事項を指定して委任したものではないから政令第三二五号が占領目的阻害行為に関する事項を一括して規定したことは委任の趣旨に反するものではない。また斯くすることによつて連合国最高司令官の指令を国内法化し占領政策の原則である間接管理の方式にそうたものである。これを目して右間接管理の方式を無視するものであるという所論は当らない。
次に政令第三二五号の内容実質が憲法に違反するかどうかを検討するに「ポツダム」宣言は周知の如く日本人を民族として奴隷化し或は国民として滅亡せしめんとする意図を有するものではなく、日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去し基本的人権の尊重を確定し日本国をして民主主義国家として発展せしめんとすることを目的の一つとしており新憲法の理想が右宣言に一致することは其前文並びに本文に徴して明らかなところであるがポツダム宣言を受諾した後制定された我が国の憲法としては正に当然の帰結というべきである。されば日本の主権が連合国最高司令官の占領管理権の下に在つたとは云えそれはいたづらに連合国の圧迫に隷従するという種類のものではない。我が国がポツダム宣言を受諾したことによつて新たに平和を愛好する民主主義国家の建設に第一歩を踏み出し大多数の日本国民は前記目的を有する連合国の占領政策に協力し政治的経済的に苦難の道をたどりつつ徐々に独立国家となるに至つたものであるからたとえ形式的には占領下と独立後との間に一線を劃することが出来ても実質的には到底断ち得ない連続した発展の過程であつたと考える。従つて連合国の占領目的を阻害し最高司令官の占領管理権の行使を妨げる行為はとりもなおさず右発展の過程に障害を与えるもので憲法の理想にもとり我が国の秩序と安全をおびやかし公共の利益を害するものというべきである。しかして実際上も当時の国際的国内的諸情勢に鑑みれば最悪の場合に於ては敗戦後の我が国を無政府状態に陥れ混乱の極暴動破壊を招来しついには暴力革命を企図する一部の者に絶好の機会を与えポツダム宣言並びに憲法の理想も画餅に帰する虞なきを保し難かつたことは過去幾多の事例に徴し明らかである。政令第三二五号第一条は此政令において「占領目的に有害な行為」とは連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為その指令を施行するために連合国占領軍、軍団又は師団の各司令官の発する命令の趣旨に反する行為及びその指令を履行するために日本国政府の発する法令に違反する行為をいうと規定しており、連合国最高司令官の日本国政府に対する指令はポツダム宣言並びに降服文書に定むる条項を実施せしめようとするものであるから、右政令は連合国の占領政策の実施の為めのものでかく規定することはもとより当然であるが、同時にポツダム宣言の目的が前述の通りであるから国内秩序を維持して我が国が民主主義国家として発展することを保障する重要な役割をも果したものと云わなければならない。尤も昭和二十年九月十日附言論及び新聞の自由に関する指令等の内容は一見憲法の言論出版の自由を保障する規定に牴触するが如き観がないでもないが右指令等により制限せらるる言論出版の自由は専ら連合国占領軍を誹謗し又は連合国に対する破壊的批判等を為す場合に限られて居るのである。しかしてかかる誹謗又は破壊的批判たるや名を平和にかるもその企図するところは厭戦平和を希求する日本国民と占領軍との間に反感摩擦を生ぜしめ占領政策を失敗に帰せしむると共に国内を破壊と混乱に導き暴力革命の目的を達せんとするにあることはまことに顕著な事実である。斯る場合にあつては我が国の法秩序を維持し憲法を擁護し国家を破壊と混乱から守るため即ち公共福祉のために言論出版の自由といえども制限を受くべきものであることは憲法自身のもつ内在律からは勿論憲法第十二条第十三条の規定の趣旨からも明らかなところであり結局前段縷述の趣旨に合致するのである。即ち政令第三二五号は実質的にも亦合憲と云はなければならない。しかして勅令第五四二号及び政令第三二五号は「ポツダム」宣言を離れてすでに国内法となつて居るのであるから平和条約の発効により当然失効する訳ではなく、且つ政令第三二五号については平和条約の成立時期は不確定ではあるけれども、やがて到来することはあらかじめ予想されたところであるから確定期限付の場合と同様右政令は連合国最高司令官の占領管理の下に於ける一時的異常な事態に対処する為めの法規であつて独立国家に復した時には早晩廃止せらるべき運命にあつたところの所謂限時法的性格を有するものと云わなければならない(昭和二十五年十月十一日最高裁判所大法廷の昭和二十三年(れ)第八〇〇号物価統制令違反事件についての判決参照)。しかして昭和二十七年三月十一日法律第八十一号により勅令第五四二号は平和条約発効の日より廃止されることになり、政令第三二五号は同日以後百八十日間法律として効力を有することとなり同年五月七日法律第一三七号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律により廃止されたが、同法第三条により平和条約発効以前の政令第三二五号違反に対する罰則の適用についてはなお従前の例による旨定めたのは前述限時法の理を宣言的に規定したものと云うべきである。然らば平和条約発効の日以前の同政令違反の行為は今日なお所罰の対象となり得且つ実質的にもその可罰性が認められるのである。之を深く慮るところなく単純に政令第三二五号は超憲法的なもので平和条約の発効と同時に刑の廃止ありたる場合として免訴の判決をなすべきものとの説には到底賛同し難い。以上説示の通りであるから勅令第五四二号の無効及政令第三二五号の憲法違反を前提とする所論はいずれも理由がない。
被告人樋口勉の控訴趣意第二点について、
原判決挙示の各証拠によれば原判示第二の事実は優に認めることが出来同被告人の判示所為は正当防衛行為に該当しないことが明かであつて記録を精査するも原判決には事実の誤認と目すべきものがない。所論は結局原審の裁量に属する証拠の取捨並びに事実の認定を非難するものであるから採用出来ない。
被告人樋口勉の控訴趣意第三点及び弁護人杉之原舜一の控訴趣意第二点の(二)(三)について、
原判決挙示の各証拠を綜合すれば「平和のこえ」は「アカハタ」の発行停止後に発刊された之と全く傾向を同じくするところの後継紙であつて其内容は占領目的を阻害するものであることは明かであり之を一般人に普及する目的を以つてする所持は広義の「発行行為」に該当すると解するのが正当であるから之と同趣旨に出でた原判決は正当であつて何等法律の解釈を誤つて居らないのは勿論罪刑法定主義に反するものではない。論旨はいづれも理由がない。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条により本件各控訴を棄却し刑法第二十一条により被告人樋口勉の当審に於ける未決勾留日数中六十日を原審の本刑に算入するものとし主文の通り判決する。
(裁判長判事 黒田俊一 判事 佐藤竹三郎 判事 東徹)
弁護人杉之原舜一の控訴趣意
第一、原判決は法令の適用に誤りがありそれが判決に影響を及ぼすと同時に憲法に違反することが明かである。すなわち原判決は被告人が「坐り込み又は立塞がり或はスクラムを組み且労働歌を高唱する等の挙に出て」会社運転手杉原、石田、沢田等の運転する電車の運行を阻止し「以て威力を用いて会社の出炭業務を妨害した」ものであり、正当な争議行為でないと判断しておる。しかして正当な争議行為であるかどうかは常に労資当事者間相互が具体的な対抗手段に基いて相対的にこれを判定すべきである。本件においては原審における証拠によつても明かなように会社側は全く労働組合法のみならず一般の法令を無視蹂躪して組合側の正当な団体交渉にも応ぜず、組合指導的地位にあるものを不当に解雇し若しくは解雇する勢を示し、第二組合の結成に乗り出し組合活動に不当に干渉しかつ主食の配給さえ争議中の組合員並にその家族に対しては之を停止する等あらゆる不法手段に訴えていたのである。かかる情況の下において判示のような手段に訴えることは何ら争議行為として不当ではない。かかる争議行為までも正当でないとする原判決に労働組合法の適用を誤つておるのみならず争議行為を基本的人権として認めた憲法に違反することが明かである。(昭和二十三年三月二十二日福岡地方飯塚支部判決、昭和二十四年三月十七日福岡高裁判決参照)。なほ本件争議行為が正当であることは所謂坐り込みストライキの正当であることを顧みれば容易に理解しうるところである。又非組合員が組合の正当な争議行為に協力若くは之を指導することは何ら違法ではない。
第二、原判決は憲法に違反しておる。すなわち原判決は被告人樋口勉が「平和のこえ」を所持していた事実が「アカハタ」の後継紙の発行行為にあたり昭和二十五年政令第三百二十五号に違反すると断じておるのであるが、
(一)右政令第三二五号自体違憲立法である。その理由
(1) 右政令第三二五号の基礎である昭和二十年勅令第五四二号が憲法の実施に倶い失効したとする理論は既に周知の事実である。これに反する従来の判例は誤つておる。
(2) 仮りに右の点を度外視するもなお右政令第三二五号は違憲立法である。その理由は、(イ)昭和二十年勅令第五四二号は個々の具体的な最高司令官の要求を実施するに特に必要な場合その個々の要求につき命令でこれを規定しうることを認めたにすぎない。前記政令第三二五号のように最高司令官の要求を実施するために予め一般的包括的に命令で定めうることを認めたものでない。(ロ)原判決のような解釈によれば間接管理の方式でなされた最高司令官の指令も前記政令第三二五号により何ら特別の手続をまたないで直ちに直接管理の方式でなされた指令と同一の効力を有つことになり占領政策の一大原則である間接管理の方式を無視することとなる。間接管理が占領政策の原則とされたのはわが国が民主的国家として再建されることを無条件に要請する趣旨に出ておるこというまでもない。
(一)「平和のこえ」の内容は凡て平和と独立を訴えることにある。かかる「平和のこえ」を弾圧すること自体憲法に反する。
(三)頒布行為を発行行為としさらに頒布の目的で所持することさえ発行行為なりと解釈することは発行行為の本来の意義からはなはだしく逸脱し、頒布行為の未遂まで処罰する結果となり罪刑法定主義に反する。
以上の理由により原判決は破棄されねばならぬ。
(被告人等の控訴趣意は省略する。)